ひかる、ひかれ。

軌跡は、奇跡となり、奇蹟となって

この案件に名前をつける会議を始めよう。

 

 

 

 

 2017年1月17日、寒く晴れた穏やかな日だった。

都内の帝国劇場にて、事件は起きた。

 

 

 

 

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帝国劇場に稲妻が直撃した 

 ばかやろう!!!!!!!!やぶひかがジャニアイの両部ともに出演するなんて聞いていない!!!!やぶひか担にとってもYa-Ya-yah担の方にとっても記念すべき日になったのだ。恐るべしジャニーズ事務所。ヲタクのことを見透かしてやがる。

 

 

 

Twitterでは、古株の事務所担ともにやぶひか担大荒れ。

 

 

 

 

 

 

感情の大渋滞

 

 

 

やぶひかってすげぇよ・・・・・・

改めて感じさせられたので簡単にYa-Ya-yahの歴史とやぶひかの歴史についてwikipedia様のお力をお借りして書こう。 

 

 

 

 

 

 

やぶひか

その言葉だけでどれほどの人たちが熱狂するだろう。なぜ多くのやぶひかヲタクがその言葉に喜怒哀楽せずにはいられなくなるのだろうか。それは‟やぶひか”という固有名詞の裏に見え隠れしているであろう伝説のグループYa-Ya-yahの存在があるから。

 

Ya-Ya-yahは2001年の冬に結成され、翌年に『勇気100% / 世界がひとつになるまで』にてCDデビューする。当時、ユニットの平均年齢は史上最年少としてCDデビュー。この曲はNHKの『忍たま乱太郎』のOPテーマ、EDテーマとして起用されていた。わたしはこのとき小学校に入学したかしていないかくらいの年齢で、もちろん『忍たま乱太郎』はかじりつくように見ていたし、Ya-Ya-yahの『世界がひとつになるまで』は小学校の全校集会で手話付きで歌っていたような記憶がある。今こうやってHey!Say!JUMPというひとつのグループを応援している立場からしてみたら、小学校で知らない人はいない!と言えるような曲を歌っていたYa-Ya-yahってすごいんだなって、改めて実感させられる。わたしはこの曲大好きだったから小さいころ耳が腐るほど聞いて、歌ってた。のちにYa-Ya-yahが歌っていたと知って、ジャニーズを好きになるということは奇跡とか偶然じゃなく、運命でありわたしの宿命だったことを悟る。

2003年になると、生意気な少年、八乙女光Ya-Ya-yahとして加入し、メンバー編成が行われる。その次の年、光くんはメンバーの薮くんと太陽くんとともに『3年B組金八先生』に出演。光くんはそこで奇才を発揮し脚光を浴びる。いまだに八乙女光といえば丸山しゅうというイメージが離れないくらいファンの脳裏には根強く印象にのこっている。ドラマや映画の演技の仕事がこないのも、幸か不幸か、このドラマが理由である。

2005年にはジャニヲタの聖地(私が勝手に思ってるだけ)、横浜アリーナで初の単独コンサートを行うというジャニーズでもエリート中のエリート。ただ、ここで忘れてはいけないのがYa-Ya-yahはJr.内のグループだということ。公式デビューしていないグループが異例の単独コンサートですよ。みなさん、これは事件です。わたしがジャニーズ好きになってからも、公式デビューではなく期間限定という前置きがあったうえでCDを出していたグループはいくつかあったが、どれも自然消滅という形でなくなっている。単独コンサートなんてできるほどの人気も獲得しないまま、いつの間にかそのグループは跡形もなく消滅しているのである。だから、Ya-Ya-yahは英雄でありジャニーズの数少ない伝説のひとつなのである。

そんな輝かしいアイドルの道を駆け上っていた彼らは突然、運命によって引き裂かれることになる。

 

 

 

2007年9月24日、Hey!Say!JUMPのデビュー。 

 

 

 

そのJUMPのメンバーの中には、当時Ya-Ya-yahでシンメとしての人気を博していた薮くんと光くんの姿があった。そして、その背景にはその事実を受け止めきれないYa-Ya-yahのファンと、必死に前を向こうとするグループの最年長となったやぶひかがいた。当時のことを光くんと薮くんはこう語っている。

 

 

 

 (バレーボールのポスター撮りは)期間限定だなって思ってましたね。集められたメンバーを見て正直"バランス悪い"って思ったし(笑)(中略)"この面子、できないことたくさんあるんですけど、どうするんですか?"って思ってました。

(____デビューはうれしかったよね?と聞かれ)

もちろん。でも、やっぱりYa-Ya-yahに対する気まずさもあって。

 

 『MYOJO~一万文字インタビュー~』 八乙女光

 

 

 

 

 メンバーを書いた紙を渡されて"どう思う?"って聞かれて(中略)今から俺が発する言葉で、このコたちの人生変わっちゃうんだなって思ったから、軽はずみなことは言えないなって。"僕と光はYa-Ya-yahでいきたい"って言うべきなのか・・・。でも、ここでデビューできなかったら、また何年も待つのかとか・・・。いろんなことを考えて結局、"うん・・・いいんじゃないですか"って。

ここがターニングポイントになるんだなって。

 

  『MYOJO~一万文字インタビュー~』 薮宏太 

 

 

 

光くんも、薮くんもデビューすることを誰よりも先に知っていた。光くんも薮くんも高校生にしてすごくよく考えていて、わたしはやぶひかの一万文字インタビューを読むたびに泣きそうになる。薮くんに関しては、今のJUMPがあるのは間違いなく薮くんのおかげだから本当に感謝してる。不謹慎かもしれないけど、これは本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしてここまでYa-Ya-yahのことを熱弁してきたけど、ぶっちゃけ、Ya-Ya-yahの時代のことをあまり知らない。ただ、2017年1月19日のことはきっと私にとっても「すごいな~」の一言で片づけられるようなものではないと感じ、筆を執った次第である。

 

 

私はやぶひか推しが苦手であった。苦手と言っても嫌いとかそういう意識があるわけではなく、やぶひか担を語れるのは担歴が長い人、というような考えが少なからずあったからである。 大好きな八乙女担の方々が口をそろえて言う‟やぶひか”は新規の類にも入る私にとって、強要されてる言葉のようにしか思えなかった。「八乙女担は(薮担は)やぶひか推しであって当然!」といったような考えが暗黙の了承のように感じていたから。だから今までやぶひかって単語もあまり気に留めないように意識していたし、Ya-Ya-yahのことも見て見ぬふりをしてきた。ほかの担当の子たちから「やぶひか好きでしょ?」ってあたかも八乙女担(薮担)がやぶひか推しなのは当たり前みたいな聞き方をされるのがなんだか腑に落ちなくて、実はいつも空返事してた。

決してやぶひかが嫌なわけではない!本当に!!むしろ20代後半になってからいちゃいちゃできるやぶひか尊いし、おじさん二人が絡んでるだけなのに世界は明るく見える!!!!

担歴を気にしたところでどうこうなるわけではないし、自分が過剰に気にしすぎているだけなのかなって感じた。私はどう頑張ってもJUMPとして活動する以前の過去の彼らを断片的にしか見ることができない。そんなことを気にしていたら今の光くんを見逃しまう。それはなんとしてでも避けたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「じゃんぷとして成功してる今があるからこそ、過去を振り返っても、もう後戻りしない、ちゃんとYaっていう存在を認めて、あの時代があったからこそ今があるって思わされた」

 

大好きな八乙女担様様からのお言葉なんだけど、Ya-Ya-yahのことが本当にすごくすごく好きな子だから言葉の重みがしっかり伝わってきて全わたしが泣いた。この子に一生ついていきたいと思った。ヲタク万歳。

 

 

わたしはこれが何年か経った後のJUMPにも言えることだなって感じて。JUMPが10人だった時代のこと。

JUMPが結成して今年で10年、9人になって6年。森本担だったわたしにとってこの6年は悲しく思うことがたくさんあった。突然いなくなった日、名前が消えた日、会員証が新しくなった日、十人十色だと言葉にできなくなった日。前だけを向き続けて、心を鬼にして「JUMPは9人です」「最年少は知念です」って言ってくれてた薮くんの大きさを今改めて知ることができた。10人だった過去は忘れたわけでも、捨てられたわけでもない。いつか時効がやってきてそのことを話す日が来ても、来なくても、メンバーの心の片隅に少しでも10人だったころの記憶が大切にしまってあればいいなあと。

あの時代があったからこそ、今があるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年、Hey!Say!JUMP10周年幕開けのエンジン音が聞こえたようなそんな日だった。